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人物紹介
石塀

土佐日記を書いた人  紀 貫之 (870頃〜945頃)

 

平安時代の歌人で数学者。三十六歌仙の一人。「古今和歌集」の編者。

国司でもあり、延長8年(930)に土佐守に任命され、今の南国市に滞在しました。承平4年(934)の12月21日に任期を終えて土佐を離れ、翌年2月16日、京都の旧宅に入るまでの旅を、女性に仮託して、日本最初の仮名文日記・「土佐日記」に、『けふはこのなはりのとまりにとまりぬ』と、奈半利に一泊し、翌朝「むろつ」に向って船出したと書いています。

 

(百人一首より)

 

多彩な事業を経営した人  藤村 米太郎 (1852〜1934)

 

藤村勇次の長男として奈半利に生れ、13歳の頃から家業の農業を手伝い一代で財をなした事業家です。若い頃より起業意欲が旺盛で酒造業、樟脳製造会社を設立し、徐々に富を築きました。明治33年(1900)に同郷の友人と共同で丸三製材所を設立し、木材、鰹漁業を行ないました。明治43年(1910)

には藤村捕鯨株式会社を設立し、ノルウェー式の捕鯨業を取り入れ、日本近海の捕鯨に従事しました。大正6年(1917)に藤村製絲株式会社を、昭和2年(1927)には藤村商船を興しました。

 

 

土佐の陸・海の交通王  野村茂久馬 (1869〜1960)

 

藩政時代の地主で紺屋(染物屋)を営んでいた野村健吉の長男として生れました。明治30年(1897)に高知に出て荷物運送業から始め、鉄道、商船業を営み「土佐の交通王」と呼ばれました。大正14年(1925)頃には乗合自動車業者と貨物業者を合併して高知県交通を設立し、大阪商船から土佐航路を譲り受けて土佐商船を興しています。貴族院議員を2期つとめ、ライオン宰相と称された浜口雄幸や吉田茂とも深い親交を交わしました。

 

(高知市丸の内緑地公園にある野村茂久馬像)

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