ガレコレ
Garage Collection
 
2016年4月11日(月)
公園のルール #政治・経済

 初めて、昼のテレビ番組『バイキング』を観た。公園であれやってはいけない、これやってはいけないって、どうなの?ってやっていた。坂上忍が、結局は大人が悪いじゃんって、割とまともなことを言っていた。スキャンダルで騒ぎ立てているテレビ番組より、よっぽとましなのだが、あれでは視聴率は取れないだろうな。

 自分が、高知市横内に住んでいたとき、アパートが横内公園に隣接しており、木剣を振っていた。ある時、おじいさんが近寄ってきて、「子供が真似をするので、止めてもらえないか」と言われた。木刀=暴力と感じられたのだろう。戦争を経験されている方であれば、そう捉えられても仕方がない。実際に、子供が棒を振り回したのかもしれない。

 今、奈半利町では、公園を潰して津波避難タワーを建設したのが5ヶ所にもなる。まあ、この傾向は、奈半利町だけではないが、そもそも公園は草ボーボーか、駐車場になるばかりで、ほとんど公園として利用されていなかった。

 また、都会では『公園デビュー』という寒気がする言葉もあったが、それも一昔と言ったところか。

 ガレコレ発足当時、公園の遊具の充実を訴えて、『なはりアドベンチャー』や『ぐるぐる迷路』をイベントでやったことがある。これに反応して貰えたのか、港のグラウンド(ゴリラの公園)に、大型の遊具が設置された。悲しいかな、面白い遊具でなく、奥に設置したこともあり、不評である。

 面白い遊具とは、どんなものだろう?子供は、走ったり、隠れたりしたいものだ。また、想定外の使い方をしたがる。滑り台は、上から滑るのではなく、下から逆走したいのだ。現代では考えられないだろうが、鉄棒の上を渡って、どの高さまで行けるかチャレンジしていた。

 今、安全面から、可動式の遊具の設置は難しい。絶滅した『回旋塔』は楽しかった。過激な使い方していたよな。一人がぐるぐる回したあと、それに飛び繋がる。ぶら下がったら、足をかけて乗り上げ、正月の梯子乗りばりに凄いことをやっていたもんだ。まあ、怪我人が出て、使用禁止になったのは、言うまでもない。

 『雲梯』の上を歩いて落ちて、ランドセルと首が挟まったというニュースも記憶に残っている。子供は、危険と分かっているが、好奇心が勝って、ふざけたり、無茶したりしてしまう。

 さて、本題に戻って、公園のあり方に言及しよう。『児童公園』と呼ばれていた公園は、元々は子供たちの場所である。それを使えないようにしたのは、自分も含め大人たちである。公園の周りの道路は、車の為の主線道路や駐車場ではない。今や、緩衝地帯としての機能がないことで、ボール遊び禁止やネットを張らなければいけない。公園と言うものは、周辺道路、アクセス道路および住宅を含めて、設計しなければいけない。

 神社や寺で遊ぶ時は、神様の通り道では遊んではいけないと教えられたものだ。狛犬には近寄るなというのは、崩れからだろうが、先のは一つの場所を多目的に使うための配慮からだろう。知らず知らずに、身に付くというものが、『児童公園』には無かったと思う。やりたい放題というのは、為にならない。公園内に神聖な場所があるといい。

 親も一緒になって遊ぶのではなく、大人が入り込めない工夫が必要である。遊具は、子供サイズでなければいけない。親は見守るだけである。中学生が遊べないくらいのサイズが理想である。中学時代は遊びからスポーツなどに変わっていく時期で、公園にとっては荷が重い。

 『街区公園』という言葉が番組内で出てきたが、そもそも近所に大人の公園は要らない。大人は、自分で遠くに出歩けるし、年老いたら庭いじりが楽しみとなろう。ご老人がゲートボールで、公園を占拠している光景は、異様に映るのは自分だけだろうか。ゲートボール専用の場所を作ればいい。自分たちが子供たちの居場所を奪っておきながら、最近の子供たちは外で遊ばんと言っているのを耳にすると、苦笑いしてしまう。

 大人の目線では、散歩コース、ジョギングコース、サイクリングコースといった『線』および、休憩所といった『点』を充実させるのがよい。『児童公園』は、ある程度の広さがある『面』と認識して、『街区公園』とは切り離して計画すべきと考える。

 さて、奈半利町のほとんどの児童公園は、津波避難タワーによって潰れたが、奈半利町を含め、高知県東部は、児童公園を再構築できる環境にあると考えている。もし、アイデアが欲しいというのであれば、会社として有償にてご協力したい。


P.S.『都市公園法』を紐解かなければ、いけないようだ。


P.S.2 責任で押し潰された日本になっていると感じる。やりっぱなしも良くない。改善があれば、すぐに着手することが何故出来ない。そうやって、前進していくもんだ。


P.S.3 今までも、自治体には、無償でアイデアご馳走様で済まされてきて、結局、アイデアの根本を理解されていないので、しくじられることばかりである。
 
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