2016年3月11日(金)
震災5年 #◎気象・災害 当時は、ガレコレは海抜6mの海岸沿いに店舗を構えていました。津波が来たら、どうしようもない場所でした。
昨年4月からは、海の見える高台(海抜84m、国道から850m)に、築26年の一戸建てを購入、住宅兼店舗として暮らしています。
津波や山崩れの心配は遠退き、暖かい木の家は、ここ10年以上忘れていた安らぎを感じます。まあ、高台は風雨に曝されて、何らかの対策をしなければいけないと実感していますけど。
さて、東北復興の手順として、政府は未だ誤った道を進んでいます。家屋や財産を、津波で消し去られて、それを個人で堪えろと言わんばかりの期待外れの政策です。最初のボタンの掛け違いで修正できずに、仮設住宅や補助金も期限が来たかのように廃止または縮小。5年で何とかできるものではないことは明白なのに、、、
原発に至っては、再稼働するものも。先日、停止の仮処分を出した大津地方裁判所には、敬意を払います。原発はいらないことを示すことこそ、日本の重責と考えています。
自分たちは、小学生の頃から社会人になっても、ずっと原発の必要性と安全性を教え込まれてきました。しかし、幼い頭をもってしても何処かおかしいと感じていたのは、大多数の人だと思います。常にごまかしていることを知りつつ、原発を利用してきた付けが、5年前の震災で露わになりました。このことを肝に銘じて、日本の将来を創造するべきです。
5年前、日本は終わったと頭を過りました。核燃料の危険度とその量を知るものは、そう思ったでしょう。何故、石棺しない?除染?できるわけがない、馬鹿にするのも程があると思いました。それと同時に、これぐらいで運が良かった、原子力平和利用を反省して、ターニングポイントとなるものとも考えていました。
島国である日本は津波で壊滅に追い込めることを、震災は示しました。地上核ミサイルを撃ち込む必要もありません。隠密に同規模以上の人工地震が起こせる現在、それに対する監視も国防上必要ということです。
それにしても、原発廃炉は、あと100年経っても、時間が解決してくれないことを直視するべきです。大変に失礼を承知で言わせてもらうならば、頑張っている振りに過ぎません。別の手段で臨むことを模索しなければいけません。ときには、諦めに似た判断も止むを得ません。要は、下手な芝居に期待を持たせるやり方は、短い人生に対して、あまりにも卑劣です。