2014年9月24日(水)
司法取引 #政治・経済 日本でも、司法取引紛いのことは密かにあるのだが、今回は堂々と法律として通そうということである。愚法を通すのは、これで幾つ目?
司法取引は、冤罪を助長する。シドニィ・シェルダンの世界だけなら、面白いで済むけどね。強気の自民党、やりたい放題である。政治から自民党を、絶対に引き摺り下ろさなければならない。中央、地方は、もはや関係ない。政党組織の暴走は、国民全員で止めなければいけない。原発再稼働の方針の決定以降、トドロの信念である。
とは言っても、託す政治家、政党が本当に見当たらない。トドロ自身も、所詮技術屋であり、毒もあるので、政治屋には不向きである。イデオロギー、手法、人脈、そしてある程度の度胸を備えた人は、マスコミや政治家や警察の下らない思惑によって、一斉に引き摺り下ろされるのが、今の日本である。頑張り過ぎることが美徳にならない、発散した世の中である。
まあ、適度が一番であることは認めるが、努力に時間を惜しまないのが、トドロの信条である。一時、不本意な研究に飽き飽きして、遊び呆けていた時期もあったが、高知に来てからは、言質が合った本来のライフスタイルに戻ったと思っている。まあ、苦労はしているが幸せ者である。
話を戻すと、洗いざらい話せば、最大限の反省をしていると見なせるのだろうか?司法取引の導入の理由は知っているつもりだが、根本的に犯罪人の刑を軽くして碌なことがないことは、考えるまでもない。温情で刑を軽くすることも難しいのに、都合で刑を軽くすることは、法治国家の根幹を揺るがすシロアリに過ぎない。
P.S. 現行の陪審員制度にも反対である。最終的には、都合の良さそうな人を選べるのが気に入らない。二審では裁判官だけで構成されるが、バカにしているにも程がある。国会における参議院のように、あくまでも緩衝剤なのである。それでいて、概ね順調と自画自賛しているのだから、性質が悪い。