2014年8月31日(日)
吉田調書 #政治・経済 原発犯罪は、通常は『核・戦争』に分類しているのだが、今回は意味合いが異なるので『政治・経済』にしている。
本来、非公開の吉田調書が、意と反して簡単に漏れること自体、問題なのだが、そんなことはどうでもいい。
問題は、マスコミの姿勢である。
真実を見極めるために、行間を読むのは、かなりセンスがいる仕事だが、都合の悪いところを無視して、上げ足を取るように部分的に切り出すのは、凡人のやることである。自分が生れ落ちてこのかた、マスコミが正常に機能していないように見えることばかりである。
真実を見極めるためではなく、自分のねじ曲がった主張を、出来事を通じて露呈したに過ぎない。
吉田調書は、A4サイズで400枚とのことである。吉田調書を論じるならば、全文を読む必要があるだろう。この調書も、改ざんがないとは言い切れない。吉田所長には長生きしてもらって、しっかりと自伝を残してもらいたかったものだ。門田隆将氏が書いた『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』があるが、読む気になれない。
あの時、海水を注入しなければ、日本の今日はなかったことは、今では誰しも断定できるところである。あのとき、自分は集まって、絶望しか語れなかった。事故現場にいた者は、専門家であればなおさら、絶望しかなかっただろう。犬死だけはしたくない、させたくないという火事場の糞力が、幸運を手繰り寄せた。
指示待ち。最前線で、連絡が取れない場合、ただ指示を待つのか。マニュアルになければ、何もしないのか。自己を捨てて、上司ならどう判断するか考える。物理的に途切れていても、結果的に組織として動くことができる。組織における信頼とは、本来そういうところにある。まあ、ドラマでは頻繁に使われる構成でしょ、あいつならこうするって。
個人の判断が神がかりを有するには、理想ではあるが、これが答えだろう。指示が直接あったかどうかというのは、愚問である。事実だけを突き詰めても、意味のないことである。
原発再稼働についても、最善の答えは、ギリシャ神話の『イカロスの翼』と同じである。通常なら、日本は死んでいた。拾った命を何故大切に生きようとしない。
そもそも、原発事故は犯罪である。犯罪者に懲役が科されるのに、こんなに早く釈放だなんて、法治国家もあったもんじゃない。原発は合法ドラックなのか!この意見に、反論してみろ、自称政治家どもって、面と向かって言いたいね。