2014年7月18日(金)
馬鹿にされる人 #本・音楽・映像 テレビで、こんな人は馬鹿にされる人とやっていた。
血液型談議が好きな人は、当てはまるそうだ。トドロはB型で、日本ではまあB型だからと半ば諦め的に許される環境もあり、独自性を珍重する性格である。しかし、情報操作によってというより、内なる遺伝子がそうさせているという感覚を未だ持っている。B型の人は、自分に対して見つめ直すが、他の血液型がどうのこうのというのは、知見が豊富であっても、余り興味がない。ABO血液型の違いは、明らかにあると思うのだが、現在は無いということになっている。
まってんの土佐の国では、ほとんどの人が馬鹿にされる人になってしまう。まあ、あくまでも集団社会における比較論であるので、極端な人が馬鹿にされるということだろう。
高知のイベントで気になることは、まず自分が楽しくなければ、イベントも楽しくないと考えることである。一見正論なのだが、ここ10年以上、岡目八目で高知を観てきた限り、自分たちだけで騒いでいるに過ぎないことが多すぎる。抜けているところを補おうと考えられるようになれば、高知は飛躍的に発展すると思うが、おらんくとか、たっすいがはいかんとはしゃいでいる限り、無理な話だろう。高知家プロモーションにも、痛いほどこりゃいかんでしょという思いが浮かんでくる。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」って、見る人を無視しているようなフレーズである。なのに見る人が集まってくる。この辺りの感覚が、いごっそと言って突き放してしまう高知とは異なる。「あんたらもわしらも阿呆じゃけんど、わしらの方がもっと阿呆じゃきに」と坂本龍馬に言ってほしいね。