2014年7月3日(木)
集団的自衛権の容認を閣議決定について #政治・経済 このような政権を選んだ『国民』が悪いと言わざろうえない。
問題は2つある。『集団的自衛権』の議論を尽くすことと、『憲法解釈の変更』は有効なのかということである。
『集団的自衛権』に関しては、「戦争に巻き込まれない」と平然と語る安倍総理が、今まで以上にふてぶてしく見える。某国の意図のままに、土俵に引き摺りだされて、巻き込まれないは無い。タカ派の意志の強さを演じながら、某国の要求にも追随できる。のらりくらりと要求をはぐらかしてきた歴代の首相の方が、何ぼかマシに見えてしまうのは、自分だけであろうか。
それよりも何よりも、権利ありきで話されることは、大人として子供たちに説明できない。国家間の争いに適用すれば、日常において、子供たちのいじめや喧嘩、暴力団の抗争に影響が出かねない。「集団」、「みんな」、「グループ」、「派」、「会」、「全員」とは、恐ろしいことなのだ。
『憲法解釈の変更』は、世界情勢から迫られたと言えばたやすい。しかし、これは戦後の日本人の理念・教育を、否定することに繋がっている。ここで言っている解釈とは、後付解釈のことだから、精神や真意の説明ではなく、悪く言えば屁理屈へのすり替えである。
『原子力発電所』は、エネルギー生産の3割以上を占めて、クリーンで安全で廉価であると教え込まれてきたことは、あの時点で間違いであることが目の前で示され、騙されてきたことを反省しなければいけない。たしかに、在日米軍や自衛隊無しには、今日の日本の平和は成り立たなかったのも事実であろう。本音と建前が、明確に異なってきた現在、矛盾解決に本音を曝け出してしまえば、やっぱりねと烙印を押されるだけである。
『国家安全』に関して、このままでいいとは、大多数の人は思っていない。-- どの国とも適度な間合いで付き合うことが肝心である。-- 離れすぎても、近すぎてもいけない。在日米軍は、喉元に刃を当てられていることに似ていることも認識しなければいけない。
出過ぎた意見かもしれないが、朝鮮半島統一は、韓国による統合ではなく、北朝鮮による武力鎮圧でもなく、韓国軍のクーデターに北朝鮮が呼応する形で行われることが、一番に懸念される。このように成立した国家は、日本にとって脅威となることは言うまでもない。
核兵器を無力化する兵器はないものだろうか。アイデアは出ているはずだが、実行に移されていないというのが、トドロの感覚である。まだ、核兵器の脅威はあってほしい世の中なのだろうか。
さて、トドロは、憲法は『依り代』であるべきだと考える。宗教にうとい現代日本人だからこそ、人智を超えたものにすがり導きを請うのではなく、人智を究めることに意義があると考えている。宗教で言うところの経典は、非ざることと思えることも含めて変えないことで、超絶的な力を得ている。変えないことは、真理化と同等なのである。非ざることを修正しないのはどうかと思うが、本質に近いことならば、絶対に変えてはいけない。
ここで立ち止まって、考えて直してほしい。安倍政権の側近だから、連立与党だから、与党党員だから反対できないというのは、何と小さな器であることか。みんなで作り上げた集団的自我に呑み込まれている証拠であり、集団に導かれた狂気の入り口に立っていることに気付いてほしい。
なお、今後の国会審議では、野党は単に反対するだけではなく、他の道筋を示してほしい。
P.S. ここで追記するには軽い話題かもしれないが、『機動戦士ガンダムUC』における『ラプラスの箱』とは、案外、この世の中を物語っているように思える。ストーリーとしては、ここまで間延びさせては、白けてしまったという作品だが、最終話だけでもご覧あれ。逆に、最終話だけ見る方がすっきりするかも。
P.S.2 トドロは、都会を離れ田舎に身を沈めて暮らしてみて、初めて本質を見出そうという考えに至った。
P.S.3 合気道を修行していくうちに、『間合い』に本質を見出すようになってきた。これも、合気道を選んだ者の必然かもしれない。
P.S.4 国交が希薄であれば、出入り口は自ずと小さくなり、誤魔化しもできなくなる。門戸を広げる努力をすることが、先決であろう。経済制裁というカードは、やられている側は卑怯と感じ、戦争と変わらないと憎むだろう。最悪に繋がる間合いと感じるようになった。