2014年6月3日(火)
憲法解釈の変更 #政治・経済 高知新聞の調査で、憲法解釈の変更に、高知県内20首長が反対の意見であった。奈半利町長も反対で、少しほっとしている。
言葉というものは、集約されているので、行間を読んだり、解釈が必要になってくる。憲法、法律もしかり、つくられた経緯や理念が解釈と一致することが、本来の姿なのであろう。
時代に合わなくなってきたから解釈を変更するというのは、理念を損ねることに他ならない。新たな理念のもと、改正するのが筋と言うものである。理念を変えるのだから、大変な作業が伴って当然である。それを、解釈の変更で済ませようとするのだから、如何に浅墓な政治家集団あるか想像できる。
建前をそのままに、解釈を変えれば、人として信頼を失うこともあるだろう。国がそんなことを平気でやろうとしている状況では、好き勝手な解釈の時代に突入するのも、時間の問題かもしれない。
そもそも、誇大解釈によって、現在の自衛隊が存在している。自衛隊を否定するものではないが、国外から見たら怪しい国だと思われても致し方ない。また、救助活動で迷彩服というのに、違和感を感じているのは、自分だけなのかな。まあ、服代だけの問題かもしれないが。
集団的自衛権については、限定的な行使容認がほとんどである。自分は、集団的自衛権の行使には反対である。自分の理念から程遠く、子供たちに説明が付かない。そもそも、そんな権利があると考えるのに納得できない。適当な言葉に権を付ければ、あたかも最初からそのような権利が存在していると、錯覚させられているに過ぎない。
アメリカの影響力の弱体化を、行使容認の賛成理由に挙げられているが、TPPしかり、アメリカの影響力は依然と大きい。アメリカが弱くなったように見えるのは、仮想敵国の弱体化に成功したためであって、ロシアが強くなっていけば、再び息を吹き返すだろう。中国の台頭も挙げられるが、四方八方敵をつくる国のままでは、二流止まりである。よく言えば、ライバルがいてこそ、強くなれるものである。