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2025年5月17日(土)
[糖尿病]担当医師の交代 #医療
 昨年の2024年5月22日から糖尿病の治療として、『高知県立あき総合病院(通称:安芸病院)』に通院しています。

 約1年間でしたが、M担当医師が移動の為、次回の外来診察から交代になりました。

 こちらとしては、長期戦を覚悟しているので、戸惑うところですが、実はホッとしていて、次のE担当医師に期待もしています。でも、頻繁に移動があることを認識しました。

 M担当医師は、確かに良い人なのですが、良い医師ではありませんでした。分からないことをすぐに調べてくれたところは好感が持てましたが、明らかにロジックと判断力に欠けており、マニュアル人間と感じていました。患者の言葉を鵜呑みにしてはいけませんが、患者を観ておらず、薬害を1年間で2回、そればかりかそれらの対応のまずさに不信感を抱きました。



 10年程前、田野病院に通院して、DPP-4阻害剤である<トランゼンタ>を服薬しました。低血糖で眠くて眠くて自動車の運転が辛く、海での素潜りの際にブラックアウトして気を失い死にかけました。当時のN担当医師から「綿飴を舐めて下さい。」「薬が効いている証拠です。薬を強めましょう。」と淡々と言われ、田野病院で初めて検査した食後2時間血糖値を「高くもないけど低くもない」と言われて、覗き込むと120。このままでは殺されると感じて、自主的に2ヶ月で辞めたと、M担当医師に最初に伝えました。

 それにも関わらず、最初に処方された薬は、同じDPP-4阻害剤である<テネリア>でした。「弱い薬です。」とのことでした。6月3日〜16日に入院中、徐々に筋肉に力が入らなくなっていきました。(エアロバイクで、入院当初は110Wにセーブしましたが、退院時には90Wでやっとでした。)「薬が合っていないと思う。」と言っても、「薬に慣れるまで続けて下さい。」と言うばかり。

 退院してから、6月下旬には、アルツハイマーみたいな記憶障害も出始めました。7月4日の外来診察で訴えるも、聞いてもらえず。9月5日の外来診察でも再度訴えましたが、<テネリア>はそのままで、<メトホルミン>が追加になりました。



 9月30日、脳も筋肉ももう仕事にならないと配達業務を引退させてもらい、10月7日に薬疹が出た次第です。

 予兆は2度嘔吐があり、飲み合わせが悪いと考えて、納豆とドクダミ茶をやめました。肋骨が軋むように痛くて、薬疹が出る以前から、心臓左側縦・肝臓左側点・大腸右側縦に斬られたような痛みが走っていました。

 薬疹は、軋んでいた肋骨から出始めました。首→肩口→二の腕、背中→腹→尻→太腿裏と、全身に広がりました。

 10月10日、安芸総合病院に電話してから行きました。正式な予約ではないと、2時間以上も待たされて、薬疹を撮影しただけで、何の検査も処置も無く、「皮膚科に行って欲しいが、外来診察が終わっているので、明日受診して下さい。」とたらい回し。こりゃあかんと確信しました。

 翌日、皮膚科M医師は「糖尿病患者に、ステロイドは使えないんだよね。」と言っておきながら、処方された塗り薬はステロイドである<アンテベート>と<ロコイド(顔)>。

 水疱性類天疱瘡は、自己免疫性水疱症の一種で、皮膚と真皮の境目にある基底膜のタンパク質に対する自己抗体が原因で発生する病気です。これに準じる処置です。死に至る場合もあります。知人からは「アレルギー程度ではなく、アナフィラキシーだよ。」と指摘を受けました。

 皮膚の薬疹は、早々に消えました。飲み薬も出ていましたが、肋骨・内臓の痛みはしばらく続きました。



 内臓にかなりのダメージが残っていましたが無視されて、11月7日から、<ジャディアンス>で服薬を再開となりました。

 処方箋には、朝夕2回と記載されており、薬局の薬剤師さんが担当医師へ電話確認すると言ってます。処方箋の内容をよく見ると、断ったはずの<スタチン>が姑息にも黙って記載されていました。この2点をM担当医師へ電話確認してもらい、訂正してもらいました。

 <スタチン>は、東洋人の過半数に腎臓障害が出ると言われていました。婆ちゃんも父さんも、スタチンで殺されました。それ以来、服薬で浮腫んでいる人を見かけては、<スタチン>の中止を勧めて、何人も助かっています。経験豊富な医師ならば、もう<スタチン>は使いません。厚労省は、<スタチン>による被害者数が尋常ではないので、<スタチン>の認可ミスを誤魔化し続けるつもりです。

 ちなみに、問題となった紅麹菌において、コレステロール低下の主成分が<スタチン>です。実は、毒成分の混入以前の問題なのです。

 なお、試しに、初日の晩、<ジャディアンス>を服薬してみると、頻尿となり、寝る暇がありませんでした。夕食後に服薬しては、絶対ダメな薬です。



 12月12日、処方箋が2枚出ているはずですが、薬局で1枚しかないことに気づきました。落としたとは考えられません。安芸病院に電話するも、総合受付で有料で再発行することに。ツルハ薬局田野店から安芸病院に戻りましたよ。これはどうでもいいことで、その場で確認しなかった自分が悪いと言い聞かせています。



 まずは、右足裏の傷穴を治しましょうと指導があり、年末年始、<プロスタグランジン>を朝夕2回しっかり塗りました。<プロスタグランジン>は、血行促進しますが、痛みの元でもあり、今まで手加減して使用してきました。

 今年1月9日、右膝上外側が急に朝から腫れ出して、晩には身動きできなくなりました。高校のバスケットボール部時代の超古傷の箇所であり、おそらく腱の一部が損傷したままなんでしょうね。

 そんな予感がしていたので、昼過ぎにはトイレの前に布団を敷き、水とリンゴとサロンパスAを集めていました。4日間寝たきりになってしまい、トイレに行くのがやっとでした。

 安芸病院に行っても、どうせ対処してもらえないと考えて、次回の外来診察までじっと我慢。自動車が安全運転できることを確認して、<バンテリン(インドメタシン)>湿布薬を買いに行きました。全く効果ありません(薬剤師さんも、そうですねと言ってました。)。後日、<ロキソニンEX>に切り替えて、ようやく一息つけました。一番弟子が、登山用の杖を貸してくれました。



 1月30日、外来診察に行きましたが、やはり整形外科へたらい回しにするだけでした。水を抜いて傷を増やすのも、湿布薬ボルタレンを使うのも嫌だったので、整形外科に行くのを断りました。下手にいじらずとも、現状の方法で、経験からも1ヶ月で治ると確信していたからです。

 唐突に、インスリン注射する為に、入院を言われましたが、「6月の検査で<インスリン>は出ているのでしょう? 再検査もせずに、ロジックがない。」と言って断りました。

 こんな体調にも関わらず、<レパグリニド>が追加されました。帰ってから、よく調べて、服薬することにしました。



 その後、2月中旬に、杖が無くても、ヒョコヒョコ歩けるようになりました。3月上旬に、草刈り機を試してみましたが、体調が後退したので、しばらくおとなしくしていました。



 3月13日、外来診察でインスリン分泌量を<C-ペプタイド>で測定するために採血して、次回の外来診察で数値を見て、インスリン注射を判断することになりました。血糖値およびHbA1cが少し低下したので、同薬で続けることになりました。



 5月15日、外来診察に行くと、まず移動が告げられました。低血糖が気になるならば、リアルタイムで測定できる機器があるとコマーシャルを長々と。こちらが聞きたいことはそんなことではありません。

 血糖値およびHbA1cが低下しており、HbA1cは7.9と、当初目標値にしていた8.0未満をギリギリ切りました。「すぐにでも眼科に行って、白内障の手術できますね。」と言われましたが、「足裏の傷が完治するのを確認してから、6月中に眼科に行きます。」と返事しました。



 1月の薬害で1ヶ月間もまともに動けない状況が続き、右眼だけで無く、左眼の白内障も進みました。

 そして、運転免許証の更新で、視力が足りず、失効中となりました。こうなったら、焦る必要もなく、じっくりと糖尿病治療を進めます。奇しくも、自転車生活が良き運動療法になっています。



 さて、疑いをまとめると13項目にも及びます。

①何故、最初にDPP-4阻害剤である<テネリア>を処方した?

②何故、「体調が悪く、薬が合っていない」と言い続けても、<テネリア>を中止せずに、<メトホルミン>を追加した?

③何故、インスリン抵抗性に対する<メトホルミン>を最初に使わなかった?
(薬害は、<テネリア>によるものであり、<メトホルミン>は無関係との実感がある。薬害に巻き込まれて、自分もインスリン抵抗性に有用と考えていた<メトホルミン>が使えなくなった。M担当医師からも「使える薬が限られてしまって困っている。」と本音が溢れていた。これ以降の外来診察のたびに、<メトホルミン>または同効果の薬が使えないか催促を繰り返したが、薬疹が出てしまった以上使えないの一点張り。仕方がないが、とても悔やまれる。<メトホルミン>は、難しい薬であり、医師の処方箋がないと入手できない。)

④何故、薬疹が出た時、先に症状を電話したにも関わらず、長時間待たせた挙句、何の検査も処置も無く、翌日皮膚科へたらい回しできた?

⑤何故、薬疹に対して、皮膚科で<ステロイド>を処方した?(別のM医師)

⑥何故、薬害によって、体力が回復していないのに、別の薬<ジャディアンス>で投薬を再開した?

⑦何故、処方箋で、<ジャディアンス>を朝夕2回と誤った?

⑧何故、直前の外来診察でも、コレステロール生成阻害剤である<スタチン>を断ったのを了解したにも関わらず、姑息にも黙って処方箋に記載して、服薬させようとした?

⑨何故、傷薬として<プロスタグランジン>を出し続けた?

⑩何故、右膝が腫れて杖を突いているのに、整形外科へたらい回しだけで済ませようとした?

⑪何故、体調が最悪なのに、<レパグリニド>を追加した?

⑫何故、改めて血液検査もせずに、インスリン注射に切り替えようとした?

⑬何故、最後の外来診察で、<インスリン>の分泌量のデータを示さなかった?



 自分は、食事療法には熱心に取り組んでおり、薬害すら覚悟の上でした。しかし、全く運動できなくなったので、せめて体調がある程度回復してから次に進むべきと考えていました。

 所詮、医師は、薬害に対して薬で何とかなると考える生き物なのでしょうね。

 近森病院または島津病院に転院できないか模索していたところ、栄養士などの先生達から強く引き留められたので、疑いながらも、半ば仕方なく、安芸病院に通院しています。



 自分は、大学・大学院・出向先研究所で、薬学や生理学の知識を学んできており、中学生から独学ですがコンピュータプログラマーであり、この一年間の薬物療法にロジックは見出せませんでした。

 はっきり言って、素人で藪医者。ずっと我慢してきましたが、移動により後腐れないので、氏名は明かさずとも、ブログに刻んでおきました。



P.S. 早速の反応ですが、担当医師の氏名は公表しません。悪しからず。

 医師個人を叩いても仕方がなく、医療体制・医療教育の問題であると、つくづく思い知らされました。ここにも、片田舎である高知県東部の、いや日本の現状と将来に暗い影を認識しました。



P.S.2 これ以上は編集しません。各薬について、食事について、運動については、別のプログにしますね。


P.S.2-2 <スタチン>と<メトホルミン>について、相次いで質問がありましたので、先行して、このブログに少し追記しました。


P.S.2-3 「めちゃくちゃですね」

 その通りです。これが、高知県東部の要である『高知県立あき総合病院』、広くは日本の三流病院の実態です。

 お年を召されたら、このままの場所か、田舎暮らしか、一流病院にアクセス便利な都市生活か、選択に迫られると思います。自分は、田舎暮らしを選択して、病院などには苦労しています。

 高知県立あき総合病院がここまで酷いとは、想像していませんでした。自分の特殊能力SPECでもありませんが、医師からも看護師からも、島流しの意識が読み取れました。この地域で、多くの方々が抱かれているマイナス思考です。



P.S.3 こんなことなら、合気道部同期会と墓参りに行ってから、入院するんだったと、心底悔やんでいます。

 数値はともかく、体調は問題なかったのですが、白内障手術のスケジュールを考えると、即入院も致し方なかったと割り切るしかありません。

 まあ、昨年7月6日の移動当日、東海道新幹線が停電により運転停止しており、高知県東部から静岡市にたどり着けていたか怪しいですが。
 
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