ガレコレ
Garage Collection
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 ※トドロ
 自転車デビューから5回目の奈半利町市街地。昼飯は、奈半利駅物産館でお弁当🍱



 実は、1月の薬害で右膝が全く動かなくなっていた時、血糖値が戻ってしまい、『白内障』も急激に進んでしまいました。その後、ヘモグロビンA1cも血糖値も下降して、何とか生きています。

 運転免許証の更新の際に、視力検査がギリギリ通るかなと思っていましたが、当日に安芸署でドタバタもあり、午後は眼が疲れてしまい視力が出ませんでした。

 ジタバタしても仕方がないと腹を決めて、一旦運転免許証を失効させて、白内障を治してから復活させることにしました。事故っても、つまらないですし。



 太腿が痩せてしまったので、自転車はしんどいのですが、5回目にて少し慣れてきました。

 帰りの上り坂(延長800m×標高差80m)を自転車を押して歩くのですが、まさに修業です。

 GW明けて交通渋滞が無くなってから、安芸市にまで足を伸ばします。安芸病院の通院にも、自転車で行きたいですね。



 今は、糖尿病治療と同時にリハビリするしかないので、自転車生活はウッテツケということです🚲



P.S. 自転車は、元々大好きです。

 小学生6年生までは、親父と妹と自分の3人で、よくサイクリングしました。子煩悩な親父でした。自転車と水泳と鉄棒が好きなのは、親父のおかげです。<1代目 子供用>

 中学時代は、バスケ部の連中が主でしたけど、隣の高岡市へ、プラモデル(フランケン)やマイコン(無線パーツ、Apple?01ショップ?)や海水浴や二上山を目的に、猛スピードでしたね。<2代目 24インチ軽快車>

 高岡南高校時代は、通学に片道17km、庄川土手をサザンを歌いながらでした。ダンプトラックの左折に2回巻き込まれ、最初のは自転車を捨てて後ろにジャンプして着地満点で自転車はダンプの下をすり抜けて無事、2回目は無様に転びましたが怪我もなく自転車も無事でした。<3代目 27インチサイクリング車>

 静岡大学時代も、2年間は高校時代から使っていた自転車で憲ちゃんとつるんでました。ブルーバードを買った後もこの自転車を使ってましたが、多分3年生の時だったか駅の駐輪場で盗まれてしまいました。富山県から静岡県にわざわざ運んだ自転車だけに諦めきれず、何度もその駅に行きましたが、見当たりませんでした。

 社会人になってからは、つくば市で間組の寮にいた時代、あと何日かで清水市に引越しという時に、バスターミナルの駐輪場で盗まれました。<4代目 ママチャリ>

 海洋バイオテクノロジー研究所に出向していた清水市では、電柱にぶつかって大破。朝5時に「生きてますか?」と通行人に起こされましたが、ハンドルの先で打ったらしく右肋骨下が腫れており、二日酔い状態で大学研究室同級生の結婚式に蒲郡市へ行きましたね。アーケード街の片隅で寝ていたこともあり、何でトンネルにお店があるのかと思いながら帰ったらポーチを落としており、拾ってもらったことも。人生で一番荒れていた時代ですな。<5代目 ママチャリ>

 つくば市に戻り、数年間は自転車無し。今度はエスクードがあったので、不自由はありませんでした。

 ボスと一緒に起業して高知市に移住したとき、毎週日曜日にママチャリを乗り回していました。東は室戸岬、西は松葉川温泉、北は早明浦ダム。一度、アパートから盗まれてしまい、警察に届けましたがいつもと同じ返事で何もできないとのことなので、自力で歩いてスーパーの駐車場の奥で鍵が壊されていましたが見つけて回収しました。高校生達の溜まり場かもとピンときました。<6代目>

 そのママチャリも、奈半利町で盗まれてしまいました。ショックでした。それから自転車を持つことを諦めて、十数年間自転車には乗っていませんでした。

 血糖値が下がり、白内障を手術して、運転免許証が復活した暁には、軽の箱バンでこの自転車を積んで四国を旅したいと、夢みています。<7代目 26インチ折りたたみママチャリ>
 
 自分は、眠りでみる夢を大切にしています。予知夢とまではいきませんが、解決するヒントを与えてくれます。

 最近、毎日ではありませんが、連続テレビ小説のようになかなか進まない夢をみています。



 舞台は、実家がある富山県の高岡駅から始まります。チンチン電車万葉線の車内、親父と2人で、発車を待っています。小学生の頃、一度だけ親父と妹と自分の3人で乗ったことがあります。自分は、高校の時、通学にこの電車を使ってました。

 電車が発車します。広小路で右折するはずですが、手前で右折した先はアーケード街で、大仏を過ぎて、古城公園の堀周りを反時計回りに走ります。こんなところに線路はありませんが、ずっと続いています。

 進行方向右手に、合気道の看板があります。テレビでやっていた道場という認識です。

 電車は、単線なのですれ違い待ちで停止しています。親父に、この道場に寄っていくと言うと、電車の中で待っているとの返事。



 合気道場に入ると、見覚えない若い小柄な女の子が対応してくれました。奥に案内されると、廊下の両脇に、8畳くらいの部屋がずっと続いており、それら部屋ごとに2〜3人で稽古しています。全員袴姿なので、確かに合気道場なのでしょう。

 この部屋で稽古しましょうと言われると、普段は履かない袴姿になっており、案内してくれた女の子は、同一人物ですが、さらに小さな中年の女性に変わっていました。

 不思議に思いながらも、いきなり乱取りが始まりました。今まであまりやったことがない稽古でしたが、楽しく思えました。

 相手が『崖落とし』を掛けて、自分は相手の背を跳び越えて、『一本取り』に押さえます。こんなド派手な『返し技』は、やったことがありません。

 一連の夢は、どうやらここで終わりのようです。



 キーワードは、沢山ありました。実家がある富山県、故親父、チンチン電車、線路、合気道、個室の道場、小柄な女性、得意な大技→返し技→得意な地味な技。

 2度の薬害で、身動き出来ないもどかしさが見せた夢のように思えます。基本は変えず、路線を変えてみる啓示ですかね。型稽古だけでは足りず、乱取り稽古をしなければ、合気道の本質に辿り着けないと、日頃から感じており、それは仕事や暮らしにも当てはまります。

 だいぶ体調が戻ってきました。焦らずに、ゆっくり進みましょう。
 

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